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木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか 

カテゴリ:雑記

読書の秋ですね....(;′Д`)

レンタルしてきた「本当にあった呪いのビデオシリーズ」も観ないで、読みふけっているのがこちらの本です。


木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか
(2011/09/30)
増田俊也

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出版社/著者からの内容紹介
昭和29年12月22日----。プロ柔道からプロレスに転じた木村政彦が、当時、人気絶頂の力道山と「実力日本一を争う」という名目で開催された「昭和の巌流島決戦」。試合は「引き分けにする」ことが事前に決められていたものの、木村が一方的に叩き潰され、KOされてしまう。まだ2局しかなかったとはいえ、共に生放送していたテレビの視聴率は100%。まさに、全国民注視の中で、無残な姿を晒してしまった木村、時に37歳。75歳まで生きた彼の、人生の折り返し点で起きた屈辱の出来事だった。柔道の現役時代、木村は柔道を殺し合いのための武道ととらえ、試合の前夜には必ず短刀の切っ先を腹部にあて、切腹の練習をして試合に臨んだ。負ければ腹を切る、その覚悟こそが木村を常勝たらしめたのである。約束を破った力道山を許すことができなかった木村は、かつて切腹の練習の際に使っていた短刀を手に、力道山を殺そうと付けねらう。しかし、現実にはそうはならなかった......その深層は? 戦後スポーツ史上、最大の謎とされる「巌流島決戦」を軸に、希代の最強柔道家・木村政彦の人生を詳細に描く、大河巨編!!



1990年代中盤でしょうか?

総合格闘技界にグレーシー柔術旋風が吹き荒れておりました。

第一回、第二回UFCを制したグレーシー一族は、ある男をたたえるコメントを出しました、

その男の名は、木村政彦!

全日本柔道選手権を3連覇し、天覧試合で優勝、戦前戦後を含め十数年間無敗の柔道家ながら講道館柔道史から抹消された男。

戦後、ブラジルにプロ柔道の興行に訪れた際、当時世界最強とも言われたグレーシー柔術のエリオ・グレーシーと戦うことになります。

数万人の観客で溢れかえったマラカニアンスタジアム、少数の日系移民の期待を一身に背負い、日系移民の悲鳴のような歓声とブラジル国民のブーイングの中、見事エリオを必殺の腕がらみで撃破!

グレーシー一族は木村を讃え、その技をキムラロックと名づけました。


凄い格闘家ですね。

日本柔道史最強の男と呼ばれますが、

日本格闘技史上最強の男と言っても過言ではないのではないでしょうか?

木村選手の柔道は、現在の立ち技中心のスポーツ柔道ではなく、実践格闘技からの流れを組む古流柔術や高専柔道で培われた寝技がバックボーンにあるものなので、現在のグレーシー柔術のような側面を持った柔道であったと思われます。

また、空手やボクシングにも精通し、かの空手バカ一代 大山倍達も兄のように慕っていた男

そんな、木村が力道山と戦うことになるわけですが....

なんとも、後味の悪い壮絶な結末となるわけです(;′Д`)。

あの試合は力道山の反則負けが妥当だとは思いますが、

木村ほどの格闘家であれば約束を反故にされ急にセメントを仕掛けられたとしても充分に対応できたはずなのに、

相当体力的に落ちていたのでしょうね......

木村の他、師匠牛島、力道山、大山ら昭和の格闘技界の巨人たちが交錯する一大叙事詩、

格闘技好きには必読ですよ!


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